「無知な時代から悔い改めの人生へ」
A. 生と死が同居する盆栽
「生と死が同居して、互いに引き立てあっているなんて盆栽くらいなものでしょう」と、盆栽作家の木村正彦氏は言います。樹齢数百年にも及ぶ松には、白く枯れた部分、舎利(仏の骨)があります。この舎利と生命力に溢れた幹のコントラストが意外な美しさを生むのです。
クリスチャンこそ、肉体的な死と、永遠の命が同居した美しい人生を造り出します。永遠の世界に入るまで、地上での限られた命を使い、各自が尊い使命を果たすところに人生の美しさがあるのです。
私たちが、地上での死を受け入れ、美しい人生を生きられるのは、復活があるからです。しかし、アテネの人々の多くは、パウロの復活の話をあざ笑い、信じることができませんでした。
B.聖書より
死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。使徒言行録17章32節
聞き手であるアテネの人々は、死者の復活について聞くと、あざ笑ったり、それについては、また後で聞く、と言いました。彼らは、パウロが神さまについて語っているときは、耳を傾けていましたが、話が一度キリストの復活のことにおよぶと、あざ笑ったのです。ここに罪に沈んだこの世の姿があります。
「神」といった場合は、自分の都合のよい神の像を思い描くことができますが、キリスト教と言った場合、人は自分たちの不完全さに直面し、悔い改めなくてはなりません。悔い改めこそ、唯一、神さまに祝される道であり、最後までイエス様に従う人が、人生で勝利し、神さまの国に入れていただけるのです。
C.9歳で信仰に立ったバイオリニスト ジェイミー・ジョージ氏
ジェイミー・ジョージ氏は、社会主義国キューバでの牧師家庭に生まれ育った、世界的なバイオリニストです。ジェイミーさんはクリスチャンホームで育ち、共産主義国であるキューバでは、幼いころから学校の先生や友達からクリスチャンであることで迫害されていました。素晴らしい音楽家であったジェイミーさんの母親は、彼に音楽的才能があることを見抜き、5歳の時から毎日練習するよう強要しました。神さまから与えられた賜物は、発展させる責任があることを母は知っていたのです。
あるコンクールで、ジェイミーさんは一位の実力があると審査員に認められましたが、一位をもらうには、神さまへの信仰を捨てることが条件でした。聖書には、人に従うよりも神さまに従う方が良いと書いてあるので、ジェイミーさんは断わります。すると、審査員の一人が共産主義政府を代表して、神を信じないという書類に署名すれば、モスクワに行く奨学金をあげよう、君と家族全員が、より良い暮らしができるのだと説得しにきました。しかし、ジェイミーさんは、「僕の答えはもう分かっているでしょう。時間の無駄です」と答えました。その時、ジェイミーさんは僅か9歳でした。少年ジェイミーは、自分でキリストへの信仰に立ったのです。その後、神さまはジェイミー少年の信仰を祝してくださり、アメリカに移住する機会を与えてくださいました。1980年12月、ジェイミーさん一家は、自由と機会があるアメリカへ移住しました。当時10歳だったジェイミーさんは英語を一言もしゃべれませんでしたが、夢を抱き続け、医学部に入り、同時にバイオリニストとして世界各地でコンサートを行いました。
証しの中でジェイミーさんは、「神の道では、信仰に対して妥協があってはならないのです。信仰を持ち続けることで、時にはこの世的な機会は逃すかもしれません。しかし、神が私たち一人ひとりにご計画されていることは、人が想像できる以上に、遙かに優れているものなのです」と語ります
コンクールで優勝することよりも、イエス様に従ったジェイミーさんのことを、共産政府は、決して良いバイオリニストにはなれないと、あざ笑いました。しかし、神さまのお導きで、自由の国、アメリカに渡り、神のご栄光を表すバイオリニストとして世界的に活躍するようになったのです。
D.結び
あらゆる宗教の中で、キリスト教は最も迫害されてきました。それは、イエス様は人々に真理をつきつけ、悔い改めを求めるからです。しかし、悔い改めこそ、唯一、神に祝される道であり、愛、喜び、平安、永遠の命に満ちた至福の生涯となります。イエス様を救い主として受け入れ、主の言われたことを大切にして生きて行きましょう。
御翼2010年10月号その4